沖縄



沖縄問題と新日本国軍

先の記事(「旧日本国軍の総括」)で、pfaelzerweinさんより、以下のようなコメントをいただきました。昨日はブログを覗かなかったせいもあり、返事が遅れました。また、雑用で十分な時間がとれなかったこともあり、正確な必要十分な応答になっているかわかりません。ただそれでも、各論点ごとについて、とりあえずのご返事だけでもしておきたいと思います。
さらに論点の深まることを期待します。

①pfaelzerweinさんのコメント

沖縄問題を通した見解 (pfaelzerwein)

2007-10-14 17:07:43

A
ここに示されているのは、沖縄問題を通した、戦後処理への見解と、その国家観と思われます。

幾つかの疑問点を議論のために手短に挙げておきます。

「旧日本軍隊と県民一心同体となって敵国アメリカと戦っていた」のが事実でないとするのがこの問題の端緒ですね。つまり、本土民と琉球民の視点の差です。つまり、同じような差を朝鮮人や台湾人に認めるかどうかの疑問ともなります。そのような視点の根拠は何処にあるのか。その国家とは、民族的なものなのか、歴史的なものなのか、それとも?
B
「完全に民主化された新日本国軍」は、民主的な日本国とその機構に準拠しなければいけませんが、その民主性は、「名誉の死」に殉じた人や当時の軍人や旧日本軍の名誉を一切認めない事ではないのか?つまり、歴史的な敗北を帰した責任こそ問われこそすれ、イスラムテロリストと変わらない国家主義に身を投じたもの達を賞賛するのは誤りではないか?そこでは犠牲となった幾多の個人を指すのではなく、その各々の集団を指す場合、虫けらのように殺害された敗者達を尊敬するべきだろうか?

C
もし、当時の国家主義を根拠にそれを認めるというならば、それを根拠にした朝鮮人や台湾人の軍事恩給や慰安婦を含む国家奉仕の保障問題をどのように捉えるのか?

D
「日本社会党の非武装中立政策を現実的ではない」のと同じように「民主的に成熟した市民統制のとれた民主的な国軍」もただの夢想ではないのか?

E
そもそも、「高貴な犠牲的愛国心」こそ国家主義の賜物で、こうした国家主義を肯定する姿勢は民主主義に相反しないのか?歴史を顧みて尊重する姿勢を採るならば、戦後民主主義体制こそそれまでの歴史を総括したものであり、それを蔑ろにして歴史を顧みる価値はないのではないか?

F
最後にこの問題への私見を加えますと、沖縄は現在も米軍基地問題を主要な政治主題としているようですが、それならばその彼らの理想は、日本国軍の駐留なのか、台湾軍なのか、中共軍なのか?今でも、戦略的に見て米軍が最も信用出来る好意的なパートナーであるように思うのですが、どうでしょう。


②私の考え
A
この問題については、歴史をどう見るかですが、「現代人の視点、価値観をもって、過去の歴史を断罪するようなことがあってはならない」ということが眼目です。

大日本帝国憲法下の日本国統治についても、民主主義の観点、立憲君主制の観点からいっても、その立憲性の民主主義的性格にきわめて大きな欠陥があったのは事実であろうと思います。それゆえにこそ、軍部の独走を抑止することも、開戦を回避することもできませんでした。

「旧日本軍隊と県民一心同体となって敵国アメリカと戦っていた」
というのは事実としてそうであったということであって、それについての価値判断は別です。

旧日本国軍隊は、天皇制全体主義の体制で「一心同体」であったので、その性格は、民主主義の観点からは、軍隊の統帥権が首相に属していないという限界がありました。

大日本帝国憲法下の行政を、戦後の日本国民が民主主義の概念から批判的に総括していないこと、その能力のないことが問題であると思います。それが、沖縄問題や台湾問題、朝鮮問題に今なお決着をつけられず、清算できないでいることの根本原因であると思います。

なお、理論的には現代国家は民族や歴史をアウフヘーベンしているものです。


B

もっとも端的な例は、互いに正々堂々と戦い抜いた敵に対する敬意と本質的には同じです。
信じる対象や価値観は異なってはいても、それに忠実に誠実に純粋に献身した者に対する敬意です。

C
当時の国家主義を根拠に認めるのではありません。「朝鮮人や台湾人の軍事恩給や慰安婦を含む国家奉仕の保障問題」を含めて、戦前の国家体制を清算できないでいるのは、現代日本国民と国家の民主主義的な未成熟にこそ問題があると考えています。


D
「民主的に成熟した市民統制のとれた民主的な国軍」は夢想であるとは思いません。夢想に終わるか現実になるかは、教育と指導者と国民全体としての資質の問題であると思います。

E
戦後民主主義の欠陥の核心は、この戦後民主主義には「国家意識」が完全に欠落していることです。戦後民主主義のこの特異性のゆえに、それが自明に思われています。ここに戦後の日本国民の倫理的な退廃の根源があります。

F

現代日本国の最大の悲惨は、pfaelzerweinさんがおっしゃられているように、沖縄県民にとって日本国軍の駐留ではなく「米軍が最も信用出来る好意的なパートナーである」と見られているこの日本の現状です。
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# by aowls | 2009-06-27 12:18 | ア行

国防軍

旧日本国軍の総括

去る九月二十九日に沖縄で十万人の県民が集まって、旧日本軍の強制による集団自決についての教科書の記述変更に反対する集会があったそうである。

当時の戦争に巻き込まれた沖縄の人々が、教科書においては「日本軍の命令によって強制的に集団自決させられた」とか「沖縄県民の集団自決に日本軍が関与した」とか「日本軍に集団自決を強いられた」とか記述されていたのに、「軍による強制」ではなく「集団自決に追い込まれた」というように変更されることになったことが問題の発端らしい。

そのことについて沖縄県民の中に反対している人が少なくないらしいけれども、正確にどれだけの数の沖縄県民が反対しているのかわからない。しかしこれは多数決の問題ではない。

今なおこうしたことが問題になるのは、この沖縄県民の「集団自決」の問題のみならず、かっての太平洋戦争そのものがいまだ国家的なレベルでもきちんと総括できていないからだと思う。相変わらずの国民性でないだろうか。いつまでも、旧日本国軍の悪弊を感情的に批判していても、あまり生産的ではないように思う。

総力戦が戦われていた当時の沖縄で、その過酷な軍事情勢の下において、非戦闘員である県民がアメリカと旧日本軍の戦闘行為に不本意ながらも巻き込まれ、そのために多くの人々が命を失うことになった。命を失うのだから不本意でないはずはないが、しかし、当時の沖縄県民も敵国アメリカに対する愛国心に燃え、旧日本軍隊と県民一心同体となって敵国アメリカと戦っていたことが想像されるのである。もちろん、戦争という過酷な状況だから決してきれい事だけには終わらなかっただろう。

それを戦後六十年たって、当時を知らない若者たちが、「軍隊が県民を強制して自殺に追いやった」とか言う。しかし、そのような観点で見るならば、それは単に沖縄県民のみならず、赤紙一つで徴兵され、過酷なジャングルでの戦場で命を失った多くの兵士たちばかりでなく、また、勤労動員で働いていたときに原爆を投下されて死に至った中学生たちも、要するに兵隊に駆り出された日本国の青年のほとんどが強制的に国家と軍隊によって「死に追いやられた」ということになる。

しかし、共産主義者などの一部を除く当時のほとんどの日本国民は、愛国心に燃えて「自発的に」敵国アメリカとの戦闘に参加したのだと思う。そして、たとえ国家による「命令」としても、多くの国民は国家のために従順に、むしろ多くの青年たちは誇りをもって敵との戦いに従ったのだ。むしろそれが真相ではないだろうか。それを自らの国家に対する誇りすら失ってしまった現代の人間が、自分たちの価値観を彼らに押しつけて、自決を強制されたなどといって「名誉の死」に殉じた人たちをおとしめているのではないのか。


そこには当時の日本人が一般にもっていた「生きて虜囚の辱めを受けず」といった死生観が死を軽いものとしたこともあると思う。近代の戦争についての無知や旧日本軍の教育の欠陥もあったと思う。ただ、そこに軍人による直接の命令があったのかどうかといっても、現代の戦争が根本的には国家間の総力戦である以上、国家による何らかの「強制」が働かないということはあり得ない。その状況は日本であれ、アメリカであれどのような国家も同じである。

そうした過去の厳粛な歴史を、後世の人間が「後知恵」で批判しても、正しく歴史を考察することにはならないと思う。また「集団自決の強制」が真実であるかどうかは当時の軍人や旧日本軍の名誉に関わる問題ともなる。

そのような歴史的な事実について、最近の沖縄集団自決冤罪訴訟による影響もあったのか、真実が明らかにされるなかで、高校教科書の記述の変更に影響をおよぼしたらしい。

「日本軍による集団自決の強制」の記述の変更についても、犠牲になった沖縄県民が軍隊命令によって強制的に集団自殺したことにすれば、軍属の死として戦後の遺族補償も得られやすくなるために、当時の守備隊長がそれに同意したということもあったらしい。


沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page018.html


しかしいずれにせよ、二十一世紀の現代においても、世界には多くの国家がそれぞれ独立して存在し、互いの国益を主張しあうような今日の人類の進化の状況にあっては、軍隊を完全に撤廃することはできないし、現実的ではない。

このことは、わずか六十年前の太平洋戦争の開戦時も、二十一世紀に入ったばかりの今日においても、その「厳粛な」歴史的事実には変わりがない。ただ狂信的な「平和主義者」だけが、不可能であるその現実を直視することができず、いつまでも盲信から自分を解放することができないでいるだけである。


現在のような人類の段階で、世界の諸国家がそれぞれ独立して排他的な対外主権を互いに主張しあうような世界史の段階において、国家が軍隊を否定したり放棄するということは現実的ではない。そうした選択をするとすれば、それはその国民が愚かで成熟した判断をもてないでいるからであると思う。


国家がその軍事的な実力を保持して、国家主権を完全に確立していない場合には、自国民が他国家によって拉致されるといったことが起きる。北朝鮮による日本国民拉致事件がそれを端的に証明している。旧社会党の非武装中立論者たちこそ「日本人拉致被害」の責任の一端の担うべきではないか。自衛の軍事行動すら否定する教条的な日本国憲法擁護論者や非武装中立論者たちは横田めぐみさんたちの涙の責任をとれるのか。

戦後の日本国民が、国家や軍隊に対して少なからずアレルギー症状を示すことにも無理からぬ面はもちろんある。日本は第二次世界大戦で、連合国軍に完膚無きまでに敗北し、しかも、その日本帝国軍隊が必ずしも民主的ではなく専制的で、封建的な階級意識をきわめて色濃く残した陰湿な面をとどめていたこと、また、軍隊組織が抑圧的で事大的で非人間的な軍人も多かったのも事実だろう。そのために一般国民が少なからず軍隊や軍人に反感的な感情を持つことになったとしてもやむを得ない。しかし、それもまた日本人自身の国民性の反映でもあったのだ。

しかし、あの戦争からすでに半世紀以上も経過しているのに、今日もなお、いつまでも国民が自らの国家と軍隊に対して不信と拒絶の感情をすら克服し得ていないとするならば、それは健全なことではない。それは指導的政治家たちの怠慢のせいでもあると思う。国家と国民の安全と幸福ために、一身を犠牲にして働く軍隊と軍人を尊敬できない国民は不幸である。

そのためにも過去の旧日本国軍の否定的な側面を全面的に客観的に批判的に総括するとともに、その一方で、たとえば、かっての神風特別攻撃隊に志願した青年たちの高貴な犠牲的愛国心は、今日においても限りなく貴重な価値あるものとして、その意義は正しく評価するべきだと思う。かっての旧日本国軍のもっていた崇高な精神的な遺産を、戦後の民主主義的な愛国心と結合することによって復活させてゆかなければならない。

国民が子供じみた軍隊アレルギーにいつまでもとらわれていれば成熟した完成した国家を形成することはできない。そうしたアレルギーから正しく治癒され解放されてゆく必要がある。

完全に民主化された新日本国軍が、専守防衛に徹することは、日本国民が完全な民主主義的な自覚をもった国民である限り、それは自明の前提なのである。

いつまでも、沖縄での旧日本国軍の「悪弊」を中途半端に批判にさらしておくのは生産的ではない。かっての旧日本国軍の参謀本部の作戦指導上の過ちや、陸軍と海軍の縦割りによる縄張り意識による作戦指揮系統の不統一による軍事戦略上の失敗や、また、それとも関係するけれども、満州国の関東軍における一部軍人の「暴走」などになぜ首相の指揮権が発揮できなかったか、(これは統帥権が天皇直属で、首相にはなかったことなどがある)などといった、かっての旧日本軍の犯した多くの失敗や否定的な側面があるはずである。

それを、戦争原因や戦争回避などもふくめて、国会は全国民的なレベルできちんと歴史的に総括し、その報告書を全国民に提示すべきだろう。旧日本国軍をただ全面的に否定しさることなく、たらいの水と一緒に貴重な赤子を流してしまうことなく、民主主義の観点から、その意義と限界をきっちりと総括して、それを民主主義国家の新日本国軍において再生してゆかなければならないのである。
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# by aowls | 2009-06-27 12:09 | カ行

民主主義

沖縄県民の民主主義

先の「集団自決」に関する教科書書き換え問題で、沖縄県の一部の人たちは、多数を動員することによって、政治家や歴史家へ圧力をかけられると考えているようだ。教科書の内容の書き換えを、自分たちの要求する方向に変えるために、明らかに多数意見であることを誇示することによって政治的な圧力をかけようとしていた。

確かに民主主義は多数決によって意志決定が行われるけれども、それは必ずしも、多数決とされる判断が「真理」であるからではない。多数意見であるということは、ただ単に比較的に多数の人々がそのように考えているにすぎないことを示しているだけである。多数の判断が必ずしも正しいとは限らない。

実際にも科学の歴史は、大多数の信じている「常識」や偏見や迷信を、少数者が覆してきた歴史であると言ってよい。また、たとえばキリストの処刑に関しても、その糾弾と告訴がユダヤ人大衆の嫉妬に駆られてのものであることを知っていたピラトは、何とかイエスの命を救おうとしたけれども、結局、「多数の声」に押されて、イエスの処刑を認めざるを得なかったのである。

何が「真理」であるかといった問題について、神ならぬ人間の争いにおいては、最終的な判断基準を得られないことが多い。しかし、実際の生活においては何らかの意志決定を行わなければならないから、とりあえず便宜上、多数者の意見をもって問題を処理してゆくことを原則としているにすぎないのである。

しかし、後になってから、多数者の意見がまちがっていて、少数者の意見が真理であることがわかるということも事実としてある。そうした歴史的な経験から、現代の民主主義では、多数者の意見も誤りうるという謙虚な姿勢をとり、少数意見も尊重して、きちんとそれを記録して保存しておくのである。

先の「教科書書き換え反対」の沖縄県民集会では、ひたすら自己の見解が真実であることを前提にして、多数者の圧力によって強権的に書き換え変更を要求しているという印象を受けた。

たしかに、多数の意見、世論、一般常識というものは尊重されるべきであることはいうまでもない。多数者の見解が確率的にも正しい場合であることが多いだろう。また、何でもかでも少数者や特異な個人の「恣意的な」見解をいつでも尊重しなければならないということでももちろんない。

しかし、だからといって、多数の見解であるということだけをもって、「真理」であることを断定させようという姿勢は、論理的には、多数者の少数者に対する狂暴でもっとも悲惨な行為に行き着く。そこでは真理の秩序は失われて、理性の圏外にある恣意的な大衆の、時には暴徒と化した盲目的で狂信的な破壊活動に行き着く。

それは、フランス革命の末期や、スターリニズムの強制収容所、日本赤軍のリンチ事件、ポルポト・カンボジアでの大量殺戮、中国の文化革命における紅衛兵の青年たちの暴走などの実際の歴史が証明している。

民主主義の精神を、単に多数意志の結集による統治というルソー流の民主主義においてとらえるだけでは、それは往々にして悟性的で破滅的な結果を招くことになる。それは、人類から理性を失わせ、その獣的本能を解放させるだけである。

まして、経験も浅く、多面的な見方も十分にできない高校生男女を使って、かって毛沢東が「紅衛兵」を扇動し、教唆したようなやり方は、理性的な民主主義からはほど遠い。

沖縄県民の民主主義だけではなく、日本国民の民主主義は、ただ多数であることを目的とする小沢一郎民主党党首流の民主主義であってはならず、真理を目的とする品位のある理性的な民主主義であるべきである。そして、ただ単に多数であることだけをたのみとするルソー流の民主主義の限界を克服して行かなければならないのである。


旧日本国軍の総括
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# by aowls | 2009-06-27 12:04 | マ行

西尾幹二

西尾幹二氏を論ず(1)

Ⅰ.西尾幹二氏の飢餓感

現代の思想家、評論家で、私にとって興味と関心の持てる一人に西尾幹二氏がいる。西尾氏の思想や言論には教えられる点や共感できる点も多く、おこがましくも私も同じくするテーマで折に触れて論じてきたこともある。

至高の国家型態

「朝まで生テレビ」を見る

そして、最近になって西尾氏の2009年4月26日 日曜日のブログ記事「私の飢餓感」を読んで、ここで今一度、断片的ではなく、人間としての西尾幹二氏について全面的に、それも出来うるかぎり深く論考して行きたいと考えるようになった。もし神のお許しあれば、二年あるいは三年、可能であれば五年十年の歳月を掛けてでも、少しずつでも私の人間研究の一環として西尾幹二氏について論じてゆきたいという希望をもっている。

思想家、評論家としての西尾氏の印象をはじめて私に残したのは、多くの団塊の世代の人たちがそうであるように、講談社新書の『ヨーロッパの個人主義』という本によってである。 もう昔に読んだ本で、今も探せば見つかると思うが、若き西尾幹二氏がドイツに留学した時のヨーロッパの印象や感想を記録した本である。内容はおおかた忘れてしまっているが、西尾氏の著作家としての思想的な出発点がここにあるらしい。

西尾氏は学生時代にニーチェ研究を専攻しており翻訳や研究書も多い。また、最近になって知ったことであるが西尾幹二氏は学生時代に内村鑑三に連なる無教会のキリスト教徒学者の小池辰雄氏に学び、その薫陶も少なくなかったようである。それらが西尾幹二氏の思想的な核になっているように思われる。

その意味でニーチェがヨーロッパの伝統的な精神に対して批判的であったように、もともと西尾氏にはヨーロッパの思想や個人主義を崇拝する精神はなかったし、西洋のキリスト教的な精神に対する西尾氏自身の批判のみならず、戦後日本人の精神的な風潮についても批判的なスタンスをとっていた。この出発点がやがて「新しい教科書を作る会」の運動やさらに現在の「GHQの焚書」による「戦後日本の思想統制」批判などの言論活動につながっているのだと思う。

戦後の日本人が戦争の敗北によるコンプレックスのゆえの反動もあって、戦前の日本の集団主義や「全体主義」、その滅私奉公の「封建的な」意識に日本人は自虐的なほどに批判的で、その一方において、西洋の個人主義や自由主義に対する日本人の無批判で盲目的な表面的な模倣と崇拝の傾向がある。

そうした西尾氏の現在に至る旺盛な言論活動のなかにあって、西尾氏が「私の飢餓感」 を表明されておられることに私は興味と関心を引かれた。思想家、著作家としての華々しいご活躍のなかでの西尾氏の「飢餓感」の実体とはいったい何なのだろうかと。

西尾氏ご自身は、この「飢餓感」については次のように告白せられている。

>>

「何か本当のことをまだ書き了えていないという飢餓感がつねに私の内部に宿っている。それは若い頃からずっとそうだった。心の中の叫びが表現を求めてもがいている。表現の対象がはっきり見えない。そのためつい世界の中の日本をめぐる諸問題が表現の対象になるのは安易であり、遺憾である。何か別の対象があるはずである。ずっとそう思ってきた。そして、そう思って書きつづけてきた。
 結局対象がうまく見つからないで終わるのかもしれない。私は自分がなぜたえず飢えを覚えて生きているのか、自分でもじつは分らないのである。」

>>引用終わり

およそ誰であれ、その人の本質を知るためには、その人が自覚しているか否かを問わず、その人の人生観、世界観がどのようなものであるかを問う必要があるだろう。もっと簡潔にいえば、その人間は何をもって人生の目的としているか。西尾幹二氏はご自身の人生において何をもって究極的な目的とされておられるか。

西尾幹二氏は思想家であり著作家である。決して政治家でもなければ、企業家でも経営者でもない。思想家、著作家として、あるいは文学者、評論家として生きることがさしあたっての西尾幹二氏の人生の目的である。もちろん、さらにその奥には、「国家の概念」を明らかにしようとする衝動が氏にはあるように思われるが、西尾幹二氏はそのことを明確には自覚されてはおられないように思われる。

また、氏にはこれらの目的が十分に達成されていないという感覚、意識があって、そのことが現在の氏には「飢餓感」として半自覚的な危機意識として現れている。西尾幹二氏には国家や人間や世界についての絶対的な必然性についての自覚がなく、それが生まれるまでは、とくにニーチェ研究家に終始した西尾幹二氏には、この飢餓感はおそらく充足されることはないのだと思う。


2009年05月01日
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# by aowls | 2009-06-23 23:14 | ナ行

ニーチェ


ニーチェとキリスト教


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ニーチェは激烈なキリスト教批判者として知られている。 私もそのように聞いている。しかし、ニーチェがどのようにキリスト教を批判しているのか、その実際は不勉強のためにほとんど知らない。私はニーチェを自分の先生に選んだわけでもなく、また、限られたわずかな人生の時間の中で、ニーチェの研究にまでは到底手は回らない。

日本では西尾幹二氏らがニーチェ研究家として知られているようである。結局、どのような思想や哲学に興味と関心を持つか、そこにはおのずと個人の根本的な個性の本能的な選択が働くようである。興味や関心が持てなければ縁がなかったのだとあきらめざるを得ない。今に至るまでニーチェのような思想家に本質的な関心と興味を持てなければ仕方がないと思っている。

ニーチェの思想はキリスト教との対決と批判から生まれたと言う。ニーチェは代々の牧師の家系に生を享けたと聞いているし、また、ドイツ人は紛れもなきキリスト教民族である。私のように多かれ少なかれ青少年期からキリスト教にあるいは聖書に事実として関心を持ってきた者には、ニーチェのような思想家は、余りにもキリスト教的な土壌からしか生まれなかったことだけは理解できるように思う。共産主義と同様に、ニーチェのような思想は日本などからは生まれるはずはないのだ。

もっとも良いものは、もっとも悪いものである。もっとも純潔なものはもっとも腐りやすいものである。最善のものは最悪のものである。もっとも美しいものはもっとも醜いものである。もっとも優しいものはもっとも冷酷なものである。多少なりとも弁証法を聞きかじっている私にとって、キリスト教もまた、余りにキリスト教的なドイツにおいて、このような弁証法的な運命を辿ったことは容易に推測がつく。だから、ニーチェがキリスト教を最悪の「価値」として攻撃したことは、およそのところ推測できると思っている。劇薬は慎重に扱われなければならないのである。キリスト教と言えども、それは、いつでも容易に最悪の迷信や狂信に転化しうる。イエスもそのことを予測してか、繰り返し、「私に躓かないものは幸いである」と警告している。キリスト教がわが日本においてもドイツと同じような運命を辿らないとは誰も言うことができない。

2005年11月01日
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# by aowls | 2009-06-23 23:05 | ナ行

「宗教」の善と悪、あるいは人類の「宗教」からの解放



「宗教」の善と悪、あるいは人類の「宗教」からの解放

宗教ということばを使うと、普通は人は仏教や神道やキリスト教やイスラム教などの世界宗教などを思い浮かべるかもしれない。また、数百年、数千年単位の歴史や伝統をもった宗教、宗派としては、ユダヤ教、ヒンズー教、カトリック教会や臨済宗、日蓮宗や曹洞宗などが無数に存在するし、また、比較的に新興宗教としては生長の家とか創価学会とか、また社会的に問題を引き起こしたオーム真理教などの団体がある。とにかく有名無名を含めて宗教のカテゴリーに属する集団、思想、教条は数多い。また新興宗教に属する集団もいかがわしいものをふくめて無数に輩出している。

新興宗教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%88%88%E5%AE%97%E6%95%99

現代国語例解辞典などは「宗教」について、「宗教とは、神や仏など、人間を超えた聖なるものの存在と意志を信じ、それによって人間生活の悩みを解決し、安心、幸福を得ようとする教え。」というように一応説明しているが、これは普通に流通している「宗教」ということばで懐く観念でありイメージであるといえる。

しかし、宗教をどのように定義するかにもよるけれども、宗教を仮に「個人の人生における究極的な価値と生活態度を規定する思想信条の体系である」とでも定義するなら、共産主義や無政府主義もまた無神論もまた一つの「宗教」と呼ぶことができるだろう。要するに宗教とは、人間の信奉する思想の価値体系として、「価値観に関わるもっとも中心的な思想信条というように広義に解するならば、少なくとも人間であるならば、それを自覚しているか否かは別として、「宗教」をもたない人間はいないと言うことができる。

また、世間では「宗教」と実際に名乗ることはなくとも、事実上「宗教」と同じ機能を果たしている事例は無数にあるのであって、この論考では、宗教ということばを、もっとも広義の意に解して、「宗教」の機能を事実上果たしているものも含めて、広義の意味で「宗教」という用語を使用したいと思う。誤解を恐れずに、無神論や共産主義、無政府主義なども事実上の「宗教」と見なして論考を進めてゆきたいと思う。

現在の北朝鮮などの国家では、その独裁的指導者である金正日などに対して明らかに個人崇拝が行われている。その個人に対する崇拝という点だけを見れば、新興宗教の指導者に対する崇拝も、阿弥陀仏や法華経などに対する崇拝と本質的に変わるものではない。

宗教が非常に頑固な固定観念にとらわれやすいものであることは、特定の宗教信者のもつ一般的な傾向として多くの人々が日常的に経験するところだろう。そして、往々にしてこの頑固な偏執的な固定観念は、狂信にまで人を駆り立てる「危険な」要素をもつ。このことも個人的な体験からも、日本においてもオーム真理教などが引き起こした社会的な事件を見ても、また世界各地で頻発している宗教紛争などの歴史的な体験からも指摘することもできるものである。

アフガニスタンなどを最前線として戦われているいわゆる「テロリスト」たちの多くが「イスラム原理主義者」と呼ばれているように、その兵士たちは狂信的なイスラム教信者であるとされる。もちろん、自己の信奉する神のみを絶対として、他をすべて排斥する狂信的宗教家、狂信的信者は、たんにイスラム教のみならず(その宗教の本質からいってイスラム教にはその傾向が強いと言えるかもしれないが)どのような宗教、宗派にも存在するし、また、新興か伝統的な宗教かを問わず存在する。

自己の宗教以外のすべてを否定し拒絶する宗教信者を「過激派」と呼ぶなら、「過激派」は、その昔にユダヤでイエスを十字架に架けた律法学者たちから、女性信者の腹に爆弾を巻き付けさせる現代のイスラム教指導者、また日本のおいても他宗教や他宗派からの布施を一切拒否した日蓮宗の不受不施派など、古今東西にわたりその類例は無数に存在する。

また、思想がブルジョワ的だという理由で同じ民族の同胞でありながら大量に殺戮したカンボジアのポルポト元首相なども、彼は共産主義者であったが、その本質は、宗教的狂信者一般と何ら異なるものではない。「宗教は阿片である」と断じるマルクス主義信者が、宗教家以上に狂信的である場合も少なくない。


とは言え宗教的な狂信者がすべて害悪をもたらす存在であると断定するのも、それ自体偏見でありまた場合には、固定観念となって真実を見ていない場合も多い。強固な宗教的な信仰の持ち主であっても、インドのカルカッタで貧者の救済に生涯を捧げたマザー・テレサのように、人々から愛され評価された宗教信者も少なくない。昔から聖人とか聖者とか呼ばれた人たちは、多くの人々の救済や福祉に大きな働きをしてきたことも事実である。

そうした一面をもつ宗教が、時には狂信的になり戦争の原因になる。個人や人類の幸福を目的としたはずの宗教が主義思想が、その目的と手段を転倒させ、もっとも倒錯的な狂信になって、この上ない害悪をなす。この論理は何も宗教だけに留まらない。最近の歴史においても、人類の「解放」をめざしたはずの共産主義運動が、この上なき抑圧と不自由をもたらしたのは、私たちが北朝鮮や旧ソ連などの現代史にこの眼で見た歴史の事実である。

こうした事実を見るとき、先ず言えることは、宗教を名乗るか否か、無神論を標榜するか否かにかかわらず、すべての宗教、主義信条においても、「善」が「悪」に転化する可能性をもつという事実である。もちろん、その逆もあり得る。もっとも良いものは、もっとも悪いものである。もっとも純潔なものはもっとも腐りやすいものである。最善のものは最悪のものである。もっとも善きものであるはずのキリスト教といえども、それが最悪の宗教に転化する可能性もある。事実、ニーチェなどは最悪の腐敗に転化したキリスト教に対する批判なのだと思う。

ニーチェとキリスト教

http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20051101

そのもう一つの最悪の事例が、現在もなお戦われているイスラエル・パレスチナ間の宗教戦争である。それは人間が宗教のドグマと狂信の結果としてどれほど悲惨な事態に陥るかの事例である。まことに宗教における偏執ほどに度し難いものはない。イスラム教過激派やユダヤ教過激派信者たちを彼らの狂信から解放し、その偏執を解くのは切実なしかし困難な課題である。世界各地で発生しているヒンズー教と仏教、イスラム教、キリスト教などの諸宗教のあいだの紛争の原因となっている彼らを宗教的な偏執から解放することなくして、平和をもたらすことはむずかしい

2009年02月10日
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# by aowls | 2009-06-23 23:01 | 第一部 主観的精神

ルソー



私の哲学史(1)──ルソー(自由について)


私がルソーを読むようになったのは、いわゆる自我の目覚めのとき、中学生から高校生に至るときである。ルソーには社会思想家、教育思想家として、『社会契約論』や『エミール』などの作品がある。だが、当時の私には、そのような著作は十分に理解する力はなかったし、ルソーにそのような作品があることも知らなかった。私が出会いもっぱら読んだのは『告白録』である。一種の小説や伝記のように、青少年にも読みやすかったからだと思う。だから、私のルソーの理解は、文学的なものだった。


f0111592_22401170.jpgルソーはスイスのジュネーブに時計職人の子として生まれ、フランスに渡り、そこで初恋の人であるヴァラン男爵夫人に庇護されながら独学で学問の素養を蓄えた。そして「文明は人間性を向上させたかどうか」というアカデミーから提出されたテーマの懸賞論文に『学問芸術論』で応募して入選し、それを背景に『人間不平等起源論』を書いた。そこから、ディドロやダランベールといった学者との交流が生まれ、思想家としての生涯が始まる。下層階級の子供として生まれ育ったルソーだったが、運命の経緯から上流階級の世界で生活することになり、そこで疎外と階級矛盾を体験する。それは、ちょうどルソーの死後、わずか11年にして起きたフランス革命という歴史的な事件の社会的な前兆を反映している。


私が高校生のころは、1960年代の後半にあたり、日本がいわゆる高度経済成長期のピークを迎えつつあるころだった。東京オリンピックが開催され、東海道新幹線も走るようになった。新幹線のいわゆる新幹線ブルーとアイボリーのツートンカラーの優雅な車体は、その頃の私たち中高生の目にも新鮮だった。阪急京都線の電車の車窓から眺める外の景色も日々刻々に変化し、見る見るうちに田畑は埋め立てられ、新興住宅地に変わっていった。しかし、そこには統一ある都市政策や都市計画などの片鱗も見られず、アジア的な無秩序で乱雑な郊外の風景が現れた。


お隣の中国では毛沢東が紅衛兵を使って文化大革命をはじめた。冷戦の構造はいささかの揺るぎも見られなかった。アメリカはベトナムで北爆を開始した。ベトナム戦争の泥沼化はまだ始まっていなかった。街にはビートルズの音楽があふれ、彼らが来日したときには、大勢の女性ファンが羽田空港に押し寄せた。


ルソーの『告白録』では年上の女性であるヴァラン男爵夫人に愛される場面などに惹かれた。学校では中学高校とも男女共学だったが、徐々に生まれつつあった異性に対する関心は同級生にではなく、宝塚歌劇の再演を文化祭で演じた上級の女子生徒や、また、通学の電車の中で時折出会う美しい女性に惹かれた。近所に住んでいるきれいな既婚婦人が家の前を通り過ぎるのを窓から眺めたりもしていた。まだ女性に幻滅も失望も持たなかった時代である。


上流階級との生活の中で、やがてヴァラン夫人の寵愛も失い、彼自身の出身階級を自覚させられたルソーは、次第に民衆の階級に自己のアイデンティティーを見い出すようになる。ルソーは下着や服装なども、豪奢な貴族階級のものから、質素で素朴な庶民のものに着替えはじめる。当時の隣国の中国でも、周恩来や毛沢東たちの指導者たちは、人民服をまとい、民衆といっしょ貨車を引いたりしていた。江青や王洪文たちが毛沢東の支持を受けて権勢を振るっていた。当時の朝日新聞やいわゆる進歩的な知識人は、それらを理想社会実現の試みとして評価する者も少なくなかった。


プロレタリア階級の独裁を目指していた共産主義革命は、フランス革命にひとつの模範を見ていた。そして、フランス革命はルソーの『社会契約論』などに現れた思想の影響を受けている。ルソーはそこで「全体の意思だけが国民全員の幸福のために国家権力を行使できる」という思想を明らかにした。ヘーゲルはこの「全体の意思」を単なる多数意思ではなく、概念として理解しなかったことがルソーの限界であるといっている。


いずれにせよ、ルソーは「全体の意思」が「共同体の意思」となり、それが国民の個々の意思と一致しない限り自由はないことを明らかにして、民主主義が国民の自由と不可分であることを明らかにしたのである。こうしたルソーの民主主義思想は、日本国民にどれだけ自覚されているか否かはとにかく、国民主権の思想となって現代の日本国憲法の原理にもなって流れている。民主主義とは、国民全体の意思が、市民共同体や国家の意思となることである。ルソーの思想に民主主義の淵源を見ることができる。


しかし、ルソーは英国流の代議制民主主義の限界にも気づいていた。国民は政治家を選挙することによって、代議士に自分たちの意思を代弁させていると一見自負している。しかし、それは一時的なものである。やがて、政治家代議士は、国民の利害から離反し、さらには特権階級化して対立するまでに至る。


日本の場合には、国民によって選挙された政治家が、職業的行政家である官僚を、支配することも管理することもできないでいる。そうして彼らは選挙されずに行政権を手にしている。それは、政治家のみならず、官僚の(国民主権を標榜する日本国には「官僚」は存在せず「公務員」が存在するのみであるはずであるが。)特権化をも許すことになっている。「統治される国民が、同時に統治する者でもある」という、治者と被治者の一致にこそ、国民の自由があるとすれば、日本国民はまだ真の自由を手に入れていないといえる。不幸な国民は、自分たちの政治家や「官僚」を自由に入れ替える能力をまだ完全には手にしてはいない。


それにしても、ルソー流の「自由」は、まだ、自由の真の概念を尽くすものではない。その自由と民主主義の思想には、嫉妬や怨恨からの自由はない。それは基本的に否定の自由であって、肯定の自由ではない。だからこそ、フランス革命も、中国文化革命も、後期においてはその自由は、剥き出しの凶暴性を発揮することになった。ここにルソー流の民主主義の限界の現実をを見ることができると思う。


そのもっとも象徴的な事件が、連合赤軍などに属する若者たちによって引き起こされた、浅間山荘事件や日航機ハイジャック事件などの一連の事件だった。それらは当時の学生運動の論理的な帰結としておきたものである。ルソーの思想と深いところでつながっている。


晩年のルソーは、植物採集などに慰めを見出しながら『告白録』を完成させ、また、『孤独な散歩者の夢想』を書いて、後年のロマン主義文学に影響を残した。また、その自由と民主主義の関する思想はカントなどにも影響を与えている。わが国においては、植木枝盛などの自由民権論者に、また中江兆民などのフランス系学者を通じて、幸徳秋水や大杉栄などの社会主義者、無政府主義者たちにに影響を及ぼしている。
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# by aowls | 2009-06-23 22:40 | ラ行

キルケゴール


私の哲学史(3)──キルケゴール(主体性について)
  

キルケゴールは、第二次世界大戦後にサルトルらに代表される新たな哲学思潮となった実存主義の、その先駆とされる哲学者、詩人思想家である。ニーチェなどと並ぶ。特にキルケゴールは宗教的に、キリスト教の観点から人間の主体的なあり方を問題にした点で特筆される。

f0111592_22335520.jpgキルケゴールの伝記的な研究はすでに多く出ているし、哲学辞典を調べればわかることなので、ここでは詳細は書かない。ただ概略は次のようなものであったとされる。キルケゴールは北欧のデンマークに1813年に生まれ、1855年に死んだ。成功した商人である父の比較的晩年の子として生まれ、特殊な宗教教育を受けて育った。彼の思想はこの生育の環境抜きにしては語れない。またそのことは主体的な思想家として一回きりの生涯を生きようとした彼のような思想家の場合には当然のことである。日本では古くは内村鑑三などによって、無教会キリスト者の祖としても紹介されてきた。彼は終生を真のキリスト者として生きることを課題とし、当時のデンマーク国教会に対する批判者として生涯を生きた。それは主に著作活動を中心とした生涯であって、宗教的思想作品と並んで日記や文学的作品も多く残している。

当時のデンマークは北欧の小国として、文化的にも学問的にも隣国ドイツの大きな影響のもとにあった。特に哲学界においてはドイツ観念論の巨匠ヘーゲル(1770~1831)の圧倒的な影響下にあった。そうした時代的な背景に生きたキルケゴールの思想の核心は、自己の主体的なあり方を哲学の中心的な課題とした点にある。それは、彼がキリスト者として、どのように生きるべきかという青年に特有の課題において、ヘーゲルの影響下にあった当時の多くの二流三流の思想家、宗教者が、その主体的問題を等閑視し、切実な課題としていないことに対する批判として生まれたものである。

それは時代の必然といってよいものである。哲学者といえども時代の子であり、時代を超越することなどできないからである。キルケゴールもまた時代の子であることは論を待たない。それに哲学者は「時代の子」であるという時間的歴史的な制約を負うばかりではなく、また「国家の子」、「民族の子」として空間の制約も負っている。特に、キルケゴールほど、その時代と風土を背景において理解しなければ、その真実を理解できない思想家はいない。それほど彼は、当時のデンマークという国において、それもコペンハーゲンを中心とした市民社会の中で、個別具体的な主体として生きることを課題としたのである。それはまた、倫理的な課題を自己のものとするキリスト教という宗教的な背景を抜きにしては語ることはできない。f0111592_2235545.jpg

私たちが生きた青年時代は今日と同じく、日米安全保障条約下にあり、大学紛争やアメリカのベトナム戦争やが大きな社会問題になっていた。太平洋戦争後まだ20数年しか経過しておらず、共産主義や社会主義に対する理想も失われていない時代だった。いわゆる自由主義国家アメリカの共産主義国家ベトナムに対する戦争の作戦の一環として、わが国にもアメリカ海軍のエンタープライズ号が九州佐世保に寄港した時に、当時の新左翼活動家たちは寄港に反対して佐世保に集結し、機動隊と「ゲバ棒」を武器に戦った。その際に京大生の活動家山崎君が機動隊の機動車に轢かれて死亡した。彼の遺品のバックの中にキルケゴールの『誘惑者の日記』があったと新聞に報じられていた。

当時はマルクス主義と並行して、サルトルらに代表される実存主義がもうひとつの時代思潮だった。その当時の多くの青年も、自分たちの生き方を模索する中で、マルクス主義や実存主義などの思想に出会い、それらを人生の指針として生きようとしたのである。山崎君などは、マルクス主義を主体的に生きようとした青年の一人だったといえる。私にとってもキルケゴールは青年時代に出会った多くの思想家の中の一人である。私にとってはキルケゴールはキリスト教もしくは聖書とヘーゲル哲学の入門としての意義を持った。

当時の中心的な時代思潮だったマルクス主義は「人類の解放」をその哲学的な動機とする思想である。その意味では「キリスト教」などと共通点を持つ。しかし、キルケゴールは彼自身の思想の中にそうした社会的な観点をほとんど持たなかった。きわめて個人的な倫理の観点を堅持した。これも彼が実存主義の祖と呼ばれることの一つの理由である。特に政治を問題にすることのなかったことにも、彼の個人主義は現れている。彼は恋人との結婚の問題を、自身の中心的な宗教問題として捉えた。彼は「人類の解放」といった問題については本質的な関心を持たなかった。政治的には、彼は終生常識的な保守の立場にとどまった。

キルケゴールは父の残した遺産に頼りがら生活し、市民として特定の職業に従事することもなかった。また、国家や都市などの共同体の問題にも直接かかわりることもなく、生涯を著述に従事して生きた。もちろん、そのこと自体ひとつの政治的な立場であって、近代国家に生きる近現代人は、政治とは無関係に生きることはできない。ただ彼は、海外にキリスト教の伝道に赴く青年に曳かれるような、本質的にはロン主義的な文学者だった。これは、三〇歳代を超えて生きることはできず血統的に若死にすることを運命づけられているという、キルケゴール自身の宿命の自覚と関係がある。こうした彼の思想と哲学は青年のそれである。この点において、彼の師であるイエスの思想の一面を継承している。

哲学史的には、キルケゴールはヘーゲル哲学の「巨大な山脈の麓に咲いたあだ花」と評することもできる。なぜなら現代人にとって、社会経済についての学問的な、科学的な認識抜きにしては真に主体的にはありえず、哲学はまた科学でなければならないからである。キルケゴールには主体性の問題についての正しい指摘はあったが、学問的、体系的な認識という点ではヘーゲルには及びもつかなかった。少なくともキルケゴールの、ヘーゲル哲学に対する主体性の欠如という批判は、二流三流の哲学者、思想家、大学教授には該当するかも知れないが、ヘーゲルやカントなどの思想家には該当しない。少なくともヘーゲルもカントも優れて主体的な哲学者でもあったからである。

キルケゴールが主体性の問題を近代哲学の中心的な問題であることを想起させたことには意義がある。そのことは現代においても意義を失っていない。主体的な決断のない思想や哲学など、その名に値しないからである。特に二流三流の「思想家」「哲学者に対する批判としては意味を持つかも知れない。しかし、キルケゴールやサルトルの主体性哲学に欠陥があるとすれば、それらが徹底した客観主義を媒介としていないことにある。客観主義への徹底を媒介とすることのない主体性は、真に止揚された主体性とはいえないからである。この点においては、ヘーゲルの論理学こそ真の主体性の論理を明らかにしているといえる。
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# by aowls | 2009-06-23 22:29 | カ行

哲学の伝統


哲学の伝統

哲学の伝統ということを考える。哲学という語彙を手近にある辞書で調べてみると次のようにある。

【哲学】
①世界や人生の究極の根本原理を理論的に追求する学問。
「哲学者」「 哲学的」
②自分自身の経験などから作りあげた人生観、世界観。理念。「彼は哲 学を持っている」 ▼ギリシャ語PHILOSOPHIA「愛智」から出た英PHILOSOPHYの訳語。(現代国語例解辞典)


言うまでもなく、哲学という概念が問題になるのは、日本においては明治維新以降になって、欧米からその文化と文明が流入してきてからの話である。哲学という用語が明治の哲学者、西周らによって翻訳されたのがはじめである。最近ではカテゴリーも狭まり、世界の究極の原理として、単に弁証法の論理を研究する科学のように扱われるようにもなってきている。しかし、かっては万学の女王だった。

それはとにかく、哲学の祖国といえばやはり古代ギリシャがすぐに思い浮かぶ。有史以来の有名無名の多くの存在の中でも、ソクラテスをはじめその弟子プラトンは哲学の父として人類の歴史に燦然と栄光を担ってきた。プラトンは、理想国家を探求して『国家』や『法律』などの本を書き、いわゆる「哲人政治」という概念を確立したが、彼やアリストテレスに始まるそうした哲学の伝統は西洋文化において、今日に至るまで何千年にわたって脈々と受け継がれている。近代において社会科学が、西洋に起源をもつことになった根拠もそこにある。

その一方において、キリスト教の伝統からは、トマス ・アクィナスの『神学大全』やアウグスチヌスの『神の国』に連なる思想的な系譜もある。

そこには哲学者の重要な使命として、国家の概念を追求するということが含まれている。西洋におけるそうした哲学の伝統の流れにあって、近代に至ってカントは民主主義の世界政府を構想し、その後を批判的に継いだヘーゲルは彼の『法哲学』において立憲君主制の意義を論証した。現代に至ってマルクスの『プロレタリア独裁政府』のような鬼子が生まれたりもしたけれども、人類の歴史は、カントの言ったように、自由の拡大の歴史であるといってもあながちまちがいではないようにも思われる。

普遍、特殊、個別の三段階の発展の論理もどきに言えば、はじめはただ一人の人間だけが自由であったのに、やがては幾人かが自由になり、そして、究極には万人が自由に解放されるという。歴史の発展の論理である。

その一方で、中国をはじめとするアジア諸国の民衆は、その長い歴史的な時間を、家父長的な専制君主の強圧的な統治の下で、抑圧的で過酷な不自由な生活に甘んじてきた。とくに圧倒的な伝統の重さをもった中国の異民族王朝。しかし、アジアの民衆も近現代になってようやく自由へと解放され始めた。

自由がどれほどに貴重なものであるかは、現在の北朝鮮をはじめ、かって東欧の過酷な独裁政治の歴史の体験からもわかることである。国家の形態や政治はそれほど民衆の日常生活の幸福に影響する。

自由と民主主義をかならずしも自国民の実力で獲得できなかったとはいえ、曲がりなりにもこれほど自由を享受することのできている日本国民は、世界的に見ても恩恵を受けている方だといえる。比較相対の問題で、最悪の劣悪政治とまでは言い切れない。現代でもなおスーダンや北朝鮮その他貧困と飢餓にあえぐ似たような国は多い。上を見ても下を見てもキリがないということか。

人類の歴史を総括的に見ても、自由と民主主義が充実するほど、国民生活は「幸福」なものになるようである。現代の日本の政治や社会の不幸も、多くの場面で「自由」と「民主主義」が正しく機能していないためであると考えられる場合が多い。その意味でも、「自由と民主主義」は政治の概念であるといえるのではないか。

そうした事実と観点をこれまで誰も言わないので、何度か繰り返し述べてきたが、現在の日本の政党政治を、「選挙談合利権型政治」から脱却して、それぞれ党是を自由主義と民主主義におく自由党と民主党を中心に再編成してゆくことである。そして、この二つの政党が交替しながら、国民ために自由と民主主義を理念として追求してゆく「理念追求型政党政治」に転換してゆかねばならない。

永年の間に利権利欲がらみで混沌としてからみ合ってしまった日本の政党政治で、それぞれの政党の理念をすっきり論理的なものにさせて行くことだ。政治家や国民がまず、この「政治の概念」をはっきりと自覚してゆくことである。そして、この概念を具体化し、深めてゆくことによってしか、政治家も国家、国民もその品位を取り戻すことはできない。


アメリカでクリントン氏と民主党の大統領候補者指名を激しく争って勝利を得たオバマ氏がヨーロッパを歴訪し、かってのケネディやレーガンにひそみ、ベルリンのブランデンブルク門の前で20万人の聴衆を前に演説を行ったという。日本の政治家たちもいつの日か、彼のように「哲学者」としても、大聴衆を前に演説する日の来ることを願いたいものである。

当然のことながら、政治家が政治に従事するのと、哲学者が政治に関与するのとでは立場も違えば観点も違う。しかし、少なくとも西洋では、ソクラテスやプラトン以来、哲学が政治を指導するというのは自明の伝統だった。その伝統の差異は、欧米の政治家の演説や議論と日本の政治家のそれとを比較して見れば一目瞭然である。


Kennedy - I am a Berliner - Ich Bin Ein Berliner

Barack Obama Speech In Berlin - Part 1 - 2008/07/24
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# by aowls | 2009-06-23 21:51 | 第三部 絶対的精神

イージス艦



映画「亡国のイージス」を見る

6月14日のテレビで「亡国のイージス」という映画を見た。もちろん、娯楽作品ではあるけれども、曲がりなりにも、わが国の国防についての問題提起をおこなっている作品であるとは言える。言うまでもなく、イージス艦はレーダーや最新の情報処理システム、対空ミサイル・システムなどを装備した現代科学の粋を集めて建造された艦艇である。

しかし、イージス艦のように、たとえどれだけ軍事科学の粋を集めて建造された軍艦といえども、それは守るべき価値ある国家、国民が存在してこそのイージス艦であって、この前提のない国家国民が所有する軍艦など、軍事産業屋の金儲けのネタか軍人の高級玩具になり終わるにすぎない。

根本的に重要なことは、価値ある国家の形成、守るに値する文化、伝統、自由を尊重する人間の存在である。戦後民主主義の日本人には、せいぜい守るべきものがあるとしても、それは営々と蓄積してきた富のほかにはないのではないか。たしかに、多くの人間にとっては、富のみが守るに値する。

映画「亡国のイージス」が公開された2005年は、戦後60年という巡り合わせもあって、「男たちの大和」「ローレライ」などの軍隊物映画が公開され、その後も「出口のない海」などの戦前の日本軍を回顧するような作品も発表されている。このような傾向を、日本の「右翼化」として「憂慮」する人たちもいるようである。

しかし、戦後60年が経過して、文化の植民地化が徹底的に浸透した現代の日本においては、戦前の日本を描こうにも、それを演じきれる人間、俳優がいない。香港やフィリッピンその他かつての被植民地などに多く見られる、無国籍アジア人の体質をもった俳優には、戦前の日本人やまして旧大日本帝国軍人などはもう演じられなくなっている。そこまで文化的な断絶が深くなっているということである。
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# by aowls | 2009-06-21 16:10 | ア行