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イージス艦



映画「亡国のイージス」を見る

6月14日のテレビで「亡国のイージス」という映画を見た。もちろん、娯楽作品ではあるけれども、曲がりなりにも、わが国の国防についての問題提起をおこなっている作品であるとは言える。言うまでもなく、イージス艦はレーダーや最新の情報処理システム、対空ミサイル・システムなどを装備した現代科学の粋を集めて建造された艦艇である。

しかし、イージス艦のように、たとえどれだけ軍事科学の粋を集めて建造された軍艦といえども、それは守るべき価値ある国家、国民が存在してこそのイージス艦であって、この前提のない国家国民が所有する軍艦など、軍事産業屋の金儲けのネタか軍人の高級玩具になり終わるにすぎない。

根本的に重要なことは、価値ある国家の形成、守るに値する文化、伝統、自由を尊重する人間の存在である。戦後民主主義の日本人には、せいぜい守るべきものがあるとしても、それは営々と蓄積してきた富のほかにはないのではないか。たしかに、多くの人間にとっては、富のみが守るに値する。

映画「亡国のイージス」が公開された2005年は、戦後60年という巡り合わせもあって、「男たちの大和」「ローレライ」などの軍隊物映画が公開され、その後も「出口のない海」などの戦前の日本軍を回顧するような作品も発表されている。このような傾向を、日本の「右翼化」として「憂慮」する人たちもいるようである。

しかし、戦後60年が経過して、文化の植民地化が徹底的に浸透した現代の日本においては、戦前の日本を描こうにも、それを演じきれる人間、俳優がいない。香港やフィリッピンその他かつての被植民地などに多く見られる、無国籍アジア人の体質をもった俳優には、戦前の日本人やまして旧大日本帝国軍人などはもう演じられなくなっている。そこまで文化的な断絶が深くなっているということである。
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by aowls | 2009-06-21 16:10 | ア行

イージス艦



映画「亡国のイージス」を見る

6月14日のテレビで「亡国のイージス」という映画を見た。もちろん、娯楽作品ではあるけれども、曲がりなりにも、わが国の国防についての問題提起をおこなっている作品であるとは言える。言うまでもなく、イージス艦はレーダーや最新の情報処理システム、対空ミサイル・システムなどを装備した現代科学の粋を集めて建造された艦艇である。

しかし、イージス艦のように、たとえどれだけ軍事科学の粋を集めて建造された軍艦といえども、それは守るべき価値ある国家、国民が存在してこそのイージス艦であって、この前提のない国家国民が所有する軍艦など、軍事産業屋の金儲けのネタか軍人の高級玩具になり終わるにすぎない。

根本的に重要なことは、価値ある国家の形成、守るに値する文化、伝統、自由を尊重する人間の存在である。戦後民主主義の日本人には、せいぜい守るべきものがあるとしても、それは営々と蓄積してきた富のほかにはないのではないか。たしかに、多くの人間にとっては、富のみが守るに値する。

映画「亡国のイージス」が公開された2005年は、戦後60年という巡り合わせもあって、「男たちの大和」「ローレライ」などの軍隊物映画が公開され、その後も「出口のない海」などの戦前の日本軍を回顧するような作品も発表されている。このような傾向を、日本の「右翼化」として「憂慮」する人たちもいるようである。

しかし、戦後60年が経過して、文化の植民地化が徹底的に浸透した現代の日本においては、戦前の日本を描こうにも、それを演じきれる人間、俳優がいない。香港やフィリッピンその他かつての被植民地などに多く見られる、無国籍アジア人の体質をもった俳優には、戦前の日本人やまして旧大日本帝国軍人などはもう演じられなくなっている。そこまで文化的な断絶が深くなっているということである。
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by aowls | 2009-06-21 16:04 | 第二部 客観的精神

立憲君主制

至高の国家形態
2006年02月10日
http://anowl.exblog.jp/2667865/

皇室典範の改正問題を小泉首相が提起することによって図らずも、国民の世論が分裂しかねない危機を招いている。愚かなことである。最低の政治的な選択というほかはない。皇室典範(伝統として確立された「自然法」としての)については、本来的に改変ということはありえない。なぜなら、皇室典範の概念からいってそれは過去を踏襲し、将来に世襲してゆくこと自体に意義があるからである。この問題について前に論じたことがある。

○男系天皇制か女系天皇制か──皇室典範に関する有識者会議をめぐる議論

○保守と改革──守るべきもの改めるべきもの

これらの問題について、もう少し考察してみたい。

至高の国家形態とは、すなわち国家の概念は、その現実的な形態としては立憲君主制を取る。それは自由と秩序が相互に緊張しながら調和している国家である。

自由は人間にとって至高のものであって、人間にとって光や空気がなければ肉体が死ぬように、精神的な存在である人間にとっては、自由がなければ精神は死ぬのである。だから自由のない国家は悲惨である。

しかし、神ならぬ人間はこの自由を正しく行使できず逸脱する。自由は専横でもなければ恣意でもない。自由とは守るべき秩序を正しく守ることがほんとうの自由である。

しかし、フランス革命や中国、カンボジアの文化大革命に見られたように、秩序なき「自由」において人間の悪は往々にして多数者の暴虐に帰結する。それは、過去の革命国家に例を見るように、いわゆる「人民民主主義」国家が、国家としての概念に一致せず、いわば奇形国家だからである。そうした国家ほど国民に不幸をもたらすものはない。

もっとも完成され調和の取れた、理念として正しく安定した国家は、君主の人格の中に国家全体の秩序を見る国家である。この秩序の中に国民の自由は最大限に確保されるのである。

秩序は君主制において実現される。君主制の中でも、もっとも純粋な君主制は一系君主制である。人間は男性と女性しかないから、現実には男系君主制か女系君主制かのいずれかでしかない。日本は伝統的に男子一系君主制に従ってきた。そして、君主制とは世襲そのものに意義があるから、日本にとっては従来どおり男系君主制を過去と同様に未来においても持続することがもっとも正しい選択である。もし日本が伝統的に女子一系君主制をとってきたのであれば、将来においてもに女系君主制を維持してゆくのが最善の選択である。男女同権とか男尊女卑といった、悟性的な浅薄な論議ではない。

欧米にも君主制があるが、それは、日本の男子一系君主制ほどその世襲は純粋なものではない。にもかかわらず、わが国が世界にもまれに貴重な男子一系世襲制を取り替えて、そこに女系君主制を導入するのは、世襲制の純粋を損なうものであって、君主制の本来の概念からいって、改悪というほかはない。それは、タリバンのバーミヤンの佛像破壊などとは比較にならない、過去の貴重な伝統遺産の破壊以外の何ものでもない。小泉首相をはじめ「有識者」と称される人々は、悟性的な理解力しか持たない人には、それが理解できないのである。君主制の価値を正しく理解するのは最も困難なことである。(欧米人の多くも理解できない)

明治の大日本帝国憲法で、伊藤博文は、「立憲君主制」の理念にしたがって、日本国を、正しい国家概念へと、「至高の国家」へと形成するのに少なからず貢献した。しかし、「立憲制」についての、すなわち「民主主義」について、伊藤博文をはじめ国民の理解に未熟と欠陥があったために、昭和の初期に、正しい「立憲制」を逸脱して「全体主義」にいたる道を開けてしまった。

自由とは共同体の意思が国民の個々の意思と一致することにある。民主主義が自由と不可分の関係にあるのはそのためである。戦前の大日本帝国憲法の「立憲君主制」では、その「立憲」における民主主義の未熟のために、「全体主義」を許し、太平洋戦争の開戦を抑止し切れなかった。現在の日本国憲法が今後改正されるに当たっても、この過去の教訓に深く学んで、より完成された民主主義と君主制にもとづく「立憲君主制」の理念を新しい憲法で追求してゆく必要がある。

曲がりなりにも保持しているわが国の「立憲君主国家」体制は、至高の国家体制である。日本国民は、自らの国家体制に誇りを持つべきであるし、さらに、国家と国民は「立憲君主制」国家の理念を追求してゆくべきだと思う。

アメリカなどに見られるような大統領制国家は、剥き出しの市民社会国家であって、ただ多数であることだけが「真理」とされる、恣意と悟性の支配する、往々にして品格と理性に欠ける国家であることを日本国民は忘れるべきではないだろう。
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by aowls | 2008-09-12 17:04 | ラ行

イギリス

「日本国の概念」とイギリス
2006年11月20日
http://anowl.exblog.jp/4351568

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日本国は日本国であって決して英国ではない。しかし、英国と日本とは、ユーラシア大陸を挟んで極東と極西と地理的には正反対に位置するけれども、同じ立憲君主国家であり、大陸の周辺国家であり、また島国であるなどの類似点も多い。

なぜこのようなことを言うかというと、今日の日本国の現状は周知のように教育亡国、政治亡国の瀬戸際にあるからである。それらは日本国民の教育や国家意識など多くの点で、太平洋戦争における日本の敗北の結果としてもたらされた国家概念のゆがみと、その戦後政治体制の行き詰まりに起因していると考えられるからである。そうした状況から脱却してゆくうえで、明治維新に伊藤博文などが欧州に国家観を学んで新しい日本の国家体制を確立したように、まだなお多くの点で英国などの国家体制を参考にできるし、すべきであるからである。

英国は、日本のように第二次世界大戦で敗者として、政治的にも文化的にも外圧的に国家体制の強制的な転換を余儀なくされることもなく、今日に至っている。また、明治維新のように、黒船などの諸外国の暴力的な圧力によって強制的に開国されることも文化的な断絶を国家として経験することもなかった。それゆえに英国などは、私たちがオーソドックスな国家の概念を考える上で参考になる。

自由で独立したあるべき正しい国家概念を、そうしてまず日本国民が日本国の再生のためにしっかりと自覚し、目的としてゆく必要がある。その際に英国やスイスなどの国家体制は参考にしうる。

まず第一に、自由で独立した国家として英国やスイスは、その国内に日本のように外国駐留軍を置いていない。日本国民のモラルの退廃の一つの原因としてアメリカの駐留軍の存在が大きいのである。

もちろん、政治的には今すぐには在日アメリカ駐留軍の撤退を実現させることはできないが、それは国民の「悲願」であるべきである。国内に外国の軍隊が駐留していることを国民は恥じるだけの誇りを持たなければならない。

いつの日か、アメリカ軍にお礼を言って国内から帰ってもらい、日本人自身の手で、国家と国民の安全を確保できるようにしてゆくことである。そして、アメリカとは現在のような半植民地のような従属的パートナーの関係ではなく(それは現行「日本国憲法」による国家体制の必然的な帰結によるものであり、また、アメリカの国際戦略の一環でもある。)、イギリスのように、より対等な同盟国家関係にしてゆく必要がある。

そのためにも防衛庁は国防省に、自衛隊は国防軍に改組し、さらに必要とあれば、自発的な兵役の義務も国民に復活させる必要があるだろう。また、国家情報機関も強固な組織に編成する必要があるかも知れない。

そして、そのために何よりも大切な前提としては、現在の日本の自由民主党や民主党などの政党で行なわれているような偽物の自由と民主主義ではなく、イギリスやスイスで行なわれているような自由と民主主義についての真正の自己教育を国民一人一人に実行してゆく必要がある。


2006年11月20日
②20080910
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by aowls | 2008-09-10 12:55 | ア行

スイス

理想の国家、現実の国家
2008年09月02日 / 国家論
http://anowl.exblog.jp/8548232/


かって私のホームページの中で、私自身の国家像を明らかにするために、スイスの行政や経済の一端を調べたことがある。その後の研究はいっこうに進んではいないけれども、スイスや北欧諸国の政治経済、その統治行政機構、国家形態などは、今日混迷するわが国の進路を明らかにして行く上で必要であるし、また有益であると思う。引き続き、機会があれば最大限に実行して行きたい。また、もし同志の方がおられれば意見も交換できればと思っている。(統計データは2005年当時のまま。日本の一人あたり国民総生産の順位は現在は低下していると思う。 第18位ぐらいをうろついているのではないか)理想の国家、現実の国家(2005/11/16)
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最も理想的な国家とは、宗教的に表現すれば「神の国」のことである。もちろん、完全に理想的な国家はこの地上には存在しない。しかし、より理想に近い国家ならある。その多くは欧州の国である。とりわけスイス、フィンランド、アイスランド、など北欧、中欧のどちらかと言えば小国である。さしあたっては、これらの国家を理想としている。特にスイスである。スイスは、面積としては日本の377835k㎡ に対して41290k㎡であり、日本の人口が1億2767万人であるのに対して、スイスの人口はおよそ745万人。しかし、一人あたりの国民生産は世界第5位だという。日本は11位である。世界的に有名な大企業も多い。フィンランドは携帯電話会社で世界的なシェアーを誇るノキアやパソコンの基本ソフトのLINUXで知られている。国際経済競争力でも世界一位に評価されている。

これらの国は、いずれも国民一人当たりの国民総生産は先進国でも最高水準にあり、教育程度も高い。OECDの学習到達度評価でも高い水準にある。ふだんは新聞やテレビのトップニュースに報じられるようなことはほとんどないが、国民は平和で豊かな生活を享受している。世界にトップニュースで知られることは必ずしも幸福なことではない。むしろ、その存在などほとんど知られることがなくてもよいのだ。

これらの国の特徴についても、多くのWEBサイトで調べることができる。

外務省、スイス連邦の項  
          http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/switzerland/data.html

スイスのページ  http://www1.linkclub.or.jp/~swiss/

スイス連邦(スイスれんぽう);ウィキペディア(Wikipedia)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9

「主な産業は、観光業、精密機械工業(時計、光学器械)、化学薬品工業、金融業(銀行、保険)。


国民1人あたりのGDP(国内総生産)は、$32,000で、世界第5位(2002年)。ちなみに、日本は、$ 28,700で、第11位。

通貨のスイスフランは、金よりも堅いと言われるほどの安定通貨。国内の物価および賃金水準は高く、国民の貯蓄高も、日本並みに高い。また、輸入関税率は低く、高級外車などが比較的安く購入できる。スイスの欧州連合 (EU) 加盟の賛否を問う国民投票において、国民の過半数が反対票を投じる重大な理由はここにある。すなわち、スイス国民にとってEU加盟は何らメリットが見出せないのである。」

スイスの国内産業には、観光や精密機械、化学薬品、金融保険などが多く、世界的な銀行や保険会社が多い。また、国内には、多くの国際機関が本拠地を置いている。

特に賞賛したいのは、多くの山岳地帯に非常に高度な技術に裏付けられた精密機械工業が存在することである。

わが国も、こうした美しい風土を背景とする観光産業と高度な産業技術の両立する国家社会を理想としたいものである。田中角栄の列島改造論以来、いたるところ荒廃してしまった国土を回復する必要がある。人心の荒廃と自然の荒廃には深い因果関係がある。

日本も山間部に森林を多く持っている。しかし、残念ながらそうした地帯の多くは過疎化が進み、荒廃こそ進んでも、そこに精密機械工業が盛んになるなど考えられていない。また誰も、どこの自治体もそうした一帯に超高度の情報技術産業を確立させようと発想するものもいない。せいぜい、信州の諏訪湖畔に精工舎やエプソンなどの工業がある程度である。

発想を転換して、そうした過疎地帯にも、IC産業やその他の最新ハイテク産業を定着させることができないものだろうか。
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そして、スイスにはもっともオーソドクスな民主主義国家体制を学ぶことができると思う。わが国の民主主義は、太平洋戦争の敗北を契機として、アメリカ占領軍によってもたらされたために、多くの点でわが国の「民主主義」は奇形化している。そのために『戦後民主主義』などと揶揄され誤解されることになっている。特に、戦争放棄条項と一緒に民主主義が憲法に導入されたために、民主主義が、極めて観念的な狂信的平和主義と混同されるようになった。特にこの傾向は女性に強いようである。

日本の民主主義を本来の姿に戻すために、自衛隊を国防軍に改組し、また、国民の兵役の義務化を主張したい。スイスでは、これらは自明の国民的な義務である。
私にとって多くの理想的で模範的な国家は、残念ながら、そのほとんどが北欧や中欧などのヨーロッパ諸国でありキリスト教国である。その中には残念ながら、アジアの国家、仏教国やイスラム諸国は一国もない。イエスが「ただ神の国を求めよ」と言ったことと無関係ではないと思う。

こうした事実を見るとき、国家の繁栄と民度や文化の水準の高さは、結局、宗教であるキリスト教と関係があると推測せざるを得ない。しかし、日本人は、この創造と主体性の根源を手に入れようとはしない。だから、いつまでも神の国は近づかず、いつも模倣と追随に終わるのだ。

(2005.08.05 )

基本的な方向としては、現在の日本の中央集権的な官僚主権国家を、道州制を基盤とした地方分権型行政に変えてゆくこと、また、地方政府の行財政改革と人材の育成を進めながら、地方財政の中央依存から脱却してゆくこと、地方政府の質を高め、より大きな自治・裁量権を与えること、だろうと思う。問題は、この実現を妨げているのは何か、である。
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by aowls | 2008-09-09 14:45 | サ行

民間防衛

>>
民間防衛(みんかんぼうえい、civil defense)とは、武力紛争等の緊急事態において市民によって国民の生命及びインフラストラクチャーや公共施設、産業などの財産を守り、速やかな救助、復旧によって被害を最小化することを主目的とする諸活動をいう。民防と略される。文民保護の機能もある(日本では国民保護に相当)。
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『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E9%96%93%E9%98%B2%E8%A1%9B
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by aowls | 2008-09-09 13:54