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「宗教」の善と悪、あるいは人類の「宗教」からの解放



「宗教」の善と悪、あるいは人類の「宗教」からの解放

宗教ということばを使うと、普通は人は仏教や神道やキリスト教やイスラム教などの世界宗教などを思い浮かべるかもしれない。また、数百年、数千年単位の歴史や伝統をもった宗教、宗派としては、ユダヤ教、ヒンズー教、カトリック教会や臨済宗、日蓮宗や曹洞宗などが無数に存在するし、また、比較的に新興宗教としては生長の家とか創価学会とか、また社会的に問題を引き起こしたオーム真理教などの団体がある。とにかく有名無名を含めて宗教のカテゴリーに属する集団、思想、教条は数多い。また新興宗教に属する集団もいかがわしいものをふくめて無数に輩出している。

新興宗教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%88%88%E5%AE%97%E6%95%99

現代国語例解辞典などは「宗教」について、「宗教とは、神や仏など、人間を超えた聖なるものの存在と意志を信じ、それによって人間生活の悩みを解決し、安心、幸福を得ようとする教え。」というように一応説明しているが、これは普通に流通している「宗教」ということばで懐く観念でありイメージであるといえる。

しかし、宗教をどのように定義するかにもよるけれども、宗教を仮に「個人の人生における究極的な価値と生活態度を規定する思想信条の体系である」とでも定義するなら、共産主義や無政府主義もまた無神論もまた一つの「宗教」と呼ぶことができるだろう。要するに宗教とは、人間の信奉する思想の価値体系として、「価値観に関わるもっとも中心的な思想信条というように広義に解するならば、少なくとも人間であるならば、それを自覚しているか否かは別として、「宗教」をもたない人間はいないと言うことができる。

また、世間では「宗教」と実際に名乗ることはなくとも、事実上「宗教」と同じ機能を果たしている事例は無数にあるのであって、この論考では、宗教ということばを、もっとも広義の意に解して、「宗教」の機能を事実上果たしているものも含めて、広義の意味で「宗教」という用語を使用したいと思う。誤解を恐れずに、無神論や共産主義、無政府主義なども事実上の「宗教」と見なして論考を進めてゆきたいと思う。

現在の北朝鮮などの国家では、その独裁的指導者である金正日などに対して明らかに個人崇拝が行われている。その個人に対する崇拝という点だけを見れば、新興宗教の指導者に対する崇拝も、阿弥陀仏や法華経などに対する崇拝と本質的に変わるものではない。

宗教が非常に頑固な固定観念にとらわれやすいものであることは、特定の宗教信者のもつ一般的な傾向として多くの人々が日常的に経験するところだろう。そして、往々にしてこの頑固な偏執的な固定観念は、狂信にまで人を駆り立てる「危険な」要素をもつ。このことも個人的な体験からも、日本においてもオーム真理教などが引き起こした社会的な事件を見ても、また世界各地で頻発している宗教紛争などの歴史的な体験からも指摘することもできるものである。

アフガニスタンなどを最前線として戦われているいわゆる「テロリスト」たちの多くが「イスラム原理主義者」と呼ばれているように、その兵士たちは狂信的なイスラム教信者であるとされる。もちろん、自己の信奉する神のみを絶対として、他をすべて排斥する狂信的宗教家、狂信的信者は、たんにイスラム教のみならず(その宗教の本質からいってイスラム教にはその傾向が強いと言えるかもしれないが)どのような宗教、宗派にも存在するし、また、新興か伝統的な宗教かを問わず存在する。

自己の宗教以外のすべてを否定し拒絶する宗教信者を「過激派」と呼ぶなら、「過激派」は、その昔にユダヤでイエスを十字架に架けた律法学者たちから、女性信者の腹に爆弾を巻き付けさせる現代のイスラム教指導者、また日本のおいても他宗教や他宗派からの布施を一切拒否した日蓮宗の不受不施派など、古今東西にわたりその類例は無数に存在する。

また、思想がブルジョワ的だという理由で同じ民族の同胞でありながら大量に殺戮したカンボジアのポルポト元首相なども、彼は共産主義者であったが、その本質は、宗教的狂信者一般と何ら異なるものではない。「宗教は阿片である」と断じるマルクス主義信者が、宗教家以上に狂信的である場合も少なくない。


とは言え宗教的な狂信者がすべて害悪をもたらす存在であると断定するのも、それ自体偏見でありまた場合には、固定観念となって真実を見ていない場合も多い。強固な宗教的な信仰の持ち主であっても、インドのカルカッタで貧者の救済に生涯を捧げたマザー・テレサのように、人々から愛され評価された宗教信者も少なくない。昔から聖人とか聖者とか呼ばれた人たちは、多くの人々の救済や福祉に大きな働きをしてきたことも事実である。

そうした一面をもつ宗教が、時には狂信的になり戦争の原因になる。個人や人類の幸福を目的としたはずの宗教が主義思想が、その目的と手段を転倒させ、もっとも倒錯的な狂信になって、この上ない害悪をなす。この論理は何も宗教だけに留まらない。最近の歴史においても、人類の「解放」をめざしたはずの共産主義運動が、この上なき抑圧と不自由をもたらしたのは、私たちが北朝鮮や旧ソ連などの現代史にこの眼で見た歴史の事実である。

こうした事実を見るとき、先ず言えることは、宗教を名乗るか否か、無神論を標榜するか否かにかかわらず、すべての宗教、主義信条においても、「善」が「悪」に転化する可能性をもつという事実である。もちろん、その逆もあり得る。もっとも良いものは、もっとも悪いものである。もっとも純潔なものはもっとも腐りやすいものである。最善のものは最悪のものである。もっとも善きものであるはずのキリスト教といえども、それが最悪の宗教に転化する可能性もある。事実、ニーチェなどは最悪の腐敗に転化したキリスト教に対する批判なのだと思う。

ニーチェとキリスト教

http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20051101

そのもう一つの最悪の事例が、現在もなお戦われているイスラエル・パレスチナ間の宗教戦争である。それは人間が宗教のドグマと狂信の結果としてどれほど悲惨な事態に陥るかの事例である。まことに宗教における偏執ほどに度し難いものはない。イスラム教過激派やユダヤ教過激派信者たちを彼らの狂信から解放し、その偏執を解くのは切実なしかし困難な課題である。世界各地で発生しているヒンズー教と仏教、イスラム教、キリスト教などの諸宗教のあいだの紛争の原因となっている彼らを宗教的な偏執から解放することなくして、平和をもたらすことはむずかしい

2009年02月10日
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by aowls | 2009-06-23 23:01 | 第一部 主観的精神

ルソー



私の哲学史(1)──ルソー(自由について)


私がルソーを読むようになったのは、いわゆる自我の目覚めのとき、中学生から高校生に至るときである。ルソーには社会思想家、教育思想家として、『社会契約論』や『エミール』などの作品がある。だが、当時の私には、そのような著作は十分に理解する力はなかったし、ルソーにそのような作品があることも知らなかった。私が出会いもっぱら読んだのは『告白録』である。一種の小説や伝記のように、青少年にも読みやすかったからだと思う。だから、私のルソーの理解は、文学的なものだった。


f0111592_22401170.jpgルソーはスイスのジュネーブに時計職人の子として生まれ、フランスに渡り、そこで初恋の人であるヴァラン男爵夫人に庇護されながら独学で学問の素養を蓄えた。そして「文明は人間性を向上させたかどうか」というアカデミーから提出されたテーマの懸賞論文に『学問芸術論』で応募して入選し、それを背景に『人間不平等起源論』を書いた。そこから、ディドロやダランベールといった学者との交流が生まれ、思想家としての生涯が始まる。下層階級の子供として生まれ育ったルソーだったが、運命の経緯から上流階級の世界で生活することになり、そこで疎外と階級矛盾を体験する。それは、ちょうどルソーの死後、わずか11年にして起きたフランス革命という歴史的な事件の社会的な前兆を反映している。


私が高校生のころは、1960年代の後半にあたり、日本がいわゆる高度経済成長期のピークを迎えつつあるころだった。東京オリンピックが開催され、東海道新幹線も走るようになった。新幹線のいわゆる新幹線ブルーとアイボリーのツートンカラーの優雅な車体は、その頃の私たち中高生の目にも新鮮だった。阪急京都線の電車の車窓から眺める外の景色も日々刻々に変化し、見る見るうちに田畑は埋め立てられ、新興住宅地に変わっていった。しかし、そこには統一ある都市政策や都市計画などの片鱗も見られず、アジア的な無秩序で乱雑な郊外の風景が現れた。


お隣の中国では毛沢東が紅衛兵を使って文化大革命をはじめた。冷戦の構造はいささかの揺るぎも見られなかった。アメリカはベトナムで北爆を開始した。ベトナム戦争の泥沼化はまだ始まっていなかった。街にはビートルズの音楽があふれ、彼らが来日したときには、大勢の女性ファンが羽田空港に押し寄せた。


ルソーの『告白録』では年上の女性であるヴァラン男爵夫人に愛される場面などに惹かれた。学校では中学高校とも男女共学だったが、徐々に生まれつつあった異性に対する関心は同級生にではなく、宝塚歌劇の再演を文化祭で演じた上級の女子生徒や、また、通学の電車の中で時折出会う美しい女性に惹かれた。近所に住んでいるきれいな既婚婦人が家の前を通り過ぎるのを窓から眺めたりもしていた。まだ女性に幻滅も失望も持たなかった時代である。


上流階級との生活の中で、やがてヴァラン夫人の寵愛も失い、彼自身の出身階級を自覚させられたルソーは、次第に民衆の階級に自己のアイデンティティーを見い出すようになる。ルソーは下着や服装なども、豪奢な貴族階級のものから、質素で素朴な庶民のものに着替えはじめる。当時の隣国の中国でも、周恩来や毛沢東たちの指導者たちは、人民服をまとい、民衆といっしょ貨車を引いたりしていた。江青や王洪文たちが毛沢東の支持を受けて権勢を振るっていた。当時の朝日新聞やいわゆる進歩的な知識人は、それらを理想社会実現の試みとして評価する者も少なくなかった。


プロレタリア階級の独裁を目指していた共産主義革命は、フランス革命にひとつの模範を見ていた。そして、フランス革命はルソーの『社会契約論』などに現れた思想の影響を受けている。ルソーはそこで「全体の意思だけが国民全員の幸福のために国家権力を行使できる」という思想を明らかにした。ヘーゲルはこの「全体の意思」を単なる多数意思ではなく、概念として理解しなかったことがルソーの限界であるといっている。


いずれにせよ、ルソーは「全体の意思」が「共同体の意思」となり、それが国民の個々の意思と一致しない限り自由はないことを明らかにして、民主主義が国民の自由と不可分であることを明らかにしたのである。こうしたルソーの民主主義思想は、日本国民にどれだけ自覚されているか否かはとにかく、国民主権の思想となって現代の日本国憲法の原理にもなって流れている。民主主義とは、国民全体の意思が、市民共同体や国家の意思となることである。ルソーの思想に民主主義の淵源を見ることができる。


しかし、ルソーは英国流の代議制民主主義の限界にも気づいていた。国民は政治家を選挙することによって、代議士に自分たちの意思を代弁させていると一見自負している。しかし、それは一時的なものである。やがて、政治家代議士は、国民の利害から離反し、さらには特権階級化して対立するまでに至る。


日本の場合には、国民によって選挙された政治家が、職業的行政家である官僚を、支配することも管理することもできないでいる。そうして彼らは選挙されずに行政権を手にしている。それは、政治家のみならず、官僚の(国民主権を標榜する日本国には「官僚」は存在せず「公務員」が存在するのみであるはずであるが。)特権化をも許すことになっている。「統治される国民が、同時に統治する者でもある」という、治者と被治者の一致にこそ、国民の自由があるとすれば、日本国民はまだ真の自由を手に入れていないといえる。不幸な国民は、自分たちの政治家や「官僚」を自由に入れ替える能力をまだ完全には手にしてはいない。


それにしても、ルソー流の「自由」は、まだ、自由の真の概念を尽くすものではない。その自由と民主主義の思想には、嫉妬や怨恨からの自由はない。それは基本的に否定の自由であって、肯定の自由ではない。だからこそ、フランス革命も、中国文化革命も、後期においてはその自由は、剥き出しの凶暴性を発揮することになった。ここにルソー流の民主主義の限界の現実をを見ることができると思う。


そのもっとも象徴的な事件が、連合赤軍などに属する若者たちによって引き起こされた、浅間山荘事件や日航機ハイジャック事件などの一連の事件だった。それらは当時の学生運動の論理的な帰結としておきたものである。ルソーの思想と深いところでつながっている。


晩年のルソーは、植物採集などに慰めを見出しながら『告白録』を完成させ、また、『孤独な散歩者の夢想』を書いて、後年のロマン主義文学に影響を残した。また、その自由と民主主義の関する思想はカントなどにも影響を与えている。わが国においては、植木枝盛などの自由民権論者に、また中江兆民などのフランス系学者を通じて、幸徳秋水や大杉栄などの社会主義者、無政府主義者たちにに影響を及ぼしている。
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by aowls | 2009-06-23 22:40 | ラ行